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お盆にお墓参り。田原坂で見る、私と嫁の数奇な140年前の繋がり

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お盆まっただ中ですが、皆さん、お墓参りには行かれましたか?

 

私は明日、嫁と我が家のお墓に行く予定です。本来はお盆の最初と最後に行くべきなんでしょうが、忙しくてなかなかそういう訳にもいきません。

 

今日は近くを通ったこともあり、慰霊も含め、田原坂に行ってきました。田原坂は、日本最後の内戦。西南戦争の最大の激戦地です。

 

田原坂、及びその周辺地域

 

田原坂近辺は熊本市の植木という地域になりまして、この近辺は西南戦争ゆかりの史跡が多くあります。

 

坂の上の雲」でおなじみの乃木希典将軍が明治天皇崩御の際、殉職する遠因ともなったといわれる連隊旗事件の場所もひっそりとありますし、日本赤十字発祥の地もあります。また、官軍、薩軍それぞれの墓地も多くあり、歴史好きにはたまらない地域です。

 

田原坂ではいまだに「かち合い弾」が見つかることもあるらしく、如何にここでの戦闘が激戦であったのかを物語っています。「かち合い弾」とは、放たれた銃の弾と弾がぶつかり合った状態で発掘される弾のことです。ちなみに田原坂での戦闘では、両軍、300メートルの間合いから一日30万発が放たれていたらしいです。凄まじすぎる。

 

従軍していた私と嫁の祖先

 

実はこの西南戦争に、私の祖先と嫁の祖先は従軍しております。

 

私は元々、熊本の出身ですが、嫁は福岡出身です。しかし嫁の本家は植木にあり、嫁の祖父母は従妹同士で、元々は熊本の植木出身です。それ故、お墓も植木にあります。

 

嫁の祖先が西南戦争に従軍していたのを私が知ったのは、嫁の本家のお墓の墓誌を見た時でした。

 

墓誌にはこう刻まれていました。「明治10年。西南の役にて戦死」と。

  

そして私の祖先。これは私は祖母から昔聞かされた話しです。

 

私の祖先は、一人は西南戦争の前に起こった「神風連の乱」にも参戦し、その命を散らし、そしてもう一人は西南戦争にて散ったとの話しです。

 

当時は子供だったこともあり、そうなのか・・・ぐらいの気持ちでしたが、大人になり、祖母の話しを思い出した私は、15年ほど前、田原坂に赴きました。

 

そしてそこで、意外な事実を知りました。

 

嫁の祖先は右に私の祖先は左に名を刻まれていた

 

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写真は西南戦争戦死者の慰霊の碑です。そして後ろにあるのは、西南戦争に従軍し、命を落とした方々の氏名です。

 

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 この碑には、向かって右側に官軍戦死者が、左側に薩軍戦死者の名が刻まれています。

 

嫁の祖先は右、私の祖先は左。

 

つまり、互いの祖先は敵同士として、刃と銃口を向けあったかもしれないということです。

 

今日、子供達を初めて田原坂に連れて行きました。

 

互いの子孫が、このように新しい世代を育んでいることの報告と、感謝を込めてお祈りしてきました。

 

明日は互いのお墓に参り、改めてお祈りをしてこようと思います。

 

 

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