散りぎわを考える。仕事でも「予は常に諸氏の先頭にあり」と言って散りたい。
間もなく4月。4月といえば新しい年度にかわり、入学、進級、進学、就職、異動、昇進、等々、環境も大きく変化する月ですね。
仕事でも人事が刷新される場合もあります。
人事というのはいわば評価であり、また、社内に派閥があれば派閥闘争の結末を一般社員が見る機会でもあります。勝者は権力の拡大を図ることができ、また、その勝者に与していた人達は論功行賞により昇進やそれなりの好待遇を受けられる可能性が高いわけです。
これは会社内の話しだけではなく、地方政治での世界も同じようで、市長選で立候補したある候補が当選した場合、当選したその候補を支援した企業や役人にはその候補が市長の任期を全うするまでの間は、その恩恵を存分に受けられるようですが、落選候補を支持していた企業や役人は冷遇され、企業は仕事の受注率も激減するとの噂です。
まあ、昔でいうなら打ち首、追放といったことの現代版といったところでしょうか。人間というのは古今東西、権力闘争の有り方は変わっていないようです。
人間には誰しも向上心があると思いますし、会社に入りたてのころはやる気に満ち溢れ、一生懸命仕事に取り組むでしょう。しかし、人によってはただサラリーを受け取るための割り切った社員になる人もいると思いますが、中には業績を伸ばし、上層部の目にとまり、出世していく人もいると思います。
すると少しずつ、自分やまわりの状況が変わってきます。ただ仕事をこなすだけの状況から、人を動かしたり、会社を動かしたりする立場になっていくわけです。
そうなると、自分の思いで事が動かせる状況、すなわちその組織内での「権力」を得ていくことになります。不思議なことに、たとえ小さな権力、つまりその社内でしか通用しないちっぽけな権力であっても、人はそれに固執していきます。
そして50代以上になり、自分の会社人生も終焉が見えかけはじめると、権力者は必死にその延命に動きます。
そのためには対立する他の権力者を排除し、自らの基盤を盤石とし、権力を掌握。社内規定、つまり会社の憲法すら変更し延命を図ります。
そうなってくるともう、会社の未来やその他の若い社員の将来は二の次です。
如何に長く自らが権力者としてその場に留まることができるか。
如何に権力を行使し、自らの懐を潤せるか。
そのようなモノが見えてしまった場合、若い社員はどう思うでしょうか?
人間はいつか必ずこの世を去ります。
そしてこの世を去る前に、大半の人が会社を去ることになります。
仕事をしている時の人生とはある意味「常在戦場」です。
その戦場で戦っている時、戦場の指揮官が指揮もとらず、私腹を肥やすことだけに注力をしていたらその部隊は必ず崩壊します。
もし私がそのような指揮官の立場になった場合、もし部隊が全滅の危機に瀕した場合、まずは私が散ってやろうと固く心に誓っています。
「予は常に諸氏の先頭にあり」
そう胸を張って言える上司になりたいものです。