熊本地震から半年が過ぎた・・・
熊本地震から半年が過ぎました。
もう半年。まだ半年。被災された方それぞれ、去来する思いは違うと思います。
私は「まだ半年」といった感じです。
それぐらい、濃い半年だったのかと思います。
あの日の光景は一生忘れない
前震が発生した後、想像以上の被害は無く、後は余震しかこないと思い油断していた時に発生した本震。
外に飛び出ると、家の周りの塀は倒れ、道は陥没。しかし深夜のため、被害の状況が把握できない。翌朝、自宅を含め、地域の様子を見て愕然とするのだが、この時はとにかく家族を連れて避難所へと急いだ。
まだ肌寒い4月の深夜。着の身着のままで家を飛び出したので、支給された毛布を家族で分け合った。
避難所となった小学校のグラウンドに次々と入ってくる自衛隊のトラック。
大きな余震と同時に、その場にいる大勢の人間のスマホから同時に大合唱で響き渡る、不気味な地震速報の警告音と悲鳴。あまりにも日常とはかけ離れた光景を目の当たりにし、これは夢か現実か?と本気で考える。
その日は避難所で一夜を明かし、翌朝、一旦帰路につく。
そこで改めて被害の大きさを知る。
街は一夜にして壊れる
熊本地震では、そこまで多くの犠牲者がでなかった。
これを幸いとよぶのは不適切かもしれないが、それでも多くの人の命が助かったのは本当に良かった。
今回は本震が深夜という、殆どの人が家で就寝している時間帯であったため、被害は最小限度に抑えられたと思う。
もちろん、益城などでは、就寝中に家に押しつぶされて亡くなられた方もいらっしゃるので、軽々に良かったとは言えないのは解っている。
しかし、それでもこれが昼間に起こっていたら、それも休日の昼間だったらと思うとゾッとする。
それぐらい、被害は甚大だった。これが昼間であったら恐らく、犠牲者は何倍にも膨れ上がっていたと思う。
それを物語るかのように、街は壊れていた。
一夜にして、街は壊れた。
水、食料が消える
今回、最も深刻だったのが水。
配水管が断裂しており、水が全くでなくなっていた。
お風呂はともかく、トイレ、飲料水が不足していた。
なんとか営業を再開したスーパー、コンビニでは瞬く間に水や食料が消えた。
近隣では水、食料が手に入らないため、比較的被害の少なかった隣市にまで買い出しに向かうが、考えることは皆同じ。
普段は1時間程度の道のりが、3時間以上かかる。
ようやく辿り着いても、もはや売り場は空。
しょうがないので、福岡まで向かったりもした。
終わらない余震
その日から、震度6〜7クラスの地震はなかったが、震度3〜5クラスは一日に何度も起こった。
観測史上過去最多、2000回以上もの余震。
最近はごく稀に身体に感じる余震が発生するが、以前ほどではない。
少しずつだが、熊本は復興の道を歩み始めた・・・はずなのに。
阿蘇山の爆発的噴火
先日、30年ぶりに阿蘇山が爆発的噴火を起こした。
少しずつ観光客が戻り始めた阿蘇に、再度大きな痛手を与える一撃。
幸い、こちらも大きな被害は出なかったが、もう油断はできない。
日本全国、いつどこで大きな災害が起こってもおかしくない。
犯罪と災害に巻き込まれた人は皆こう思う。
まさか自分が・・・
そのまさかは、今、この瞬間にも起きるかもしれない。
だから必ず、備えだけは怠らないで欲しい。
偉そうだが、経験したからこそ言えるのです。
今年はもう、何事もなく年越しをしたいものです。