ごちゃまぜにゅーす

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九州の人間が見た3.11

3.11が近づいてきました。

 

日本人として決して忘れてはならない、また忘れられないあの日。

 

私は九州に住んでおりますので、あの日、そしてその後も、直接的な被害があったわけではありませんし、被災地に親戚がいるわけでもありませんので、私に直接の影響があったわけではありません。

 

しかし、私はあの日のことを鮮明に憶えています。

 

そして、1年後に被災地に赴きました。

 

九州の人間という、離れた場所からみた3.11です。

 

あの日、私は普通に仕事をしていました。いつものように顧客を訪問し、注文をもらい、納品をする。

 

そんな変わらない1日の仕事が中盤に差し掛かった15時ほどだったでしょうか。伺った取引先の社長が「お台場が燃えてる」と言っていました。

 

「火事ですか?」と聞いたところ、「そんなものじゃない」と言われ、本気で某国がミサイルでも打ち込んだか?と思ってしまいました。

 

テレビを一緒に覗き込むと、関東で大きな地震があったという緊急ニュースが流れていました。

 

九州にはまったく影響がなかったので、「大変そうだな。大丈夫か?」と思うぐらいで、その場を後にしました。

 

しかし、仕事から帰ってニュースを見ると、もの凄い津波が東北地方を襲い、街は壊滅、原発も停止という状況を知り、とんでもないことが起きているんだ。と初めてそこで事の重大さを認識しました。

 

それから連日、テレビは震災関係のものばかり、CMも自粛され、原発次第によっては東日本には誰も住めなくなるのでは?と思いながらニュースをみていました。

 

仙台には提携する会社があり、そこも甚大な被害を受けたようだったのですが、幸いにして犠牲になった方はいないと聞き、安堵するとともに、上司から伝えられる現地の状況を信じられない思いで聞いていました。

 

九州では変わらぬ日常を過ごしているのに、東北では日常がなくなり、地獄絵図が広がっているという状況がとても信じられませんでした。

 

しかし、連日の報道を見聞きし、なにかしたいと思いながらも、なにもできない状況で普通の日常を過ごすことに罪悪感を抱くこともありました。

 

被災地に実際に足を運びたいと思っていました。

 

ボランテイアという訳ではなく、実際にこの目で被災地を確認したいという、被災者からすれば「ふざけんな」と言われそうな動機かもしれませんが、それでも実際に確認したいと思っていたところ、仕事で仙台に行く機会が出来ました。

 

震災から1年後のことでした。

 

仙台空港に到着し、バスに乗って被災地を巡りました。

 

空港近辺は1年たち、多少は道がまだぼこぼこのところもありましたが、だいぶ復旧されているようにも思えました。

 

しかし、少し離れると、津波の影響で変形したガードレールや、捲りあがったアスファルトなどがまだまだ多くみられました。

 

また、津波で出た瓦礫の山も多くあり、震災から1年たったその時点では、復旧は全然進んでいないのだな。と感じました。

 

また、津波の威力を物語る場所として、崩壊した小学校、流された家屋跡、相当な高台にも押し寄せた津波の痕跡などを見て回り、あの日、テレビの向こう側の地獄がここにあったのかと思うと、本当になにか申し訳ない気分になりました。

 

申し訳ないというと誤解をあたえるのかもしれませんが、同じ日本人として、あの日、なにもわからず、その後も普通の日常を過ごしていた自分に対して、複雑な感情を抱いてしまったので、率直な感想です。

 

写真も多く撮ったのですが、印象的だったものを載せようと思います。見たくない人もいらっしゃるかもしれませんので、御注意ください。

 

以下に写真を掲載しています。御注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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震災から5年たちますが、復興はまだまだ進んでいないようです。

 

一刻も早く、被災地が復興することを願うとともに、犠牲になられた方の御冥福を心からお祈りします。