娘の2分の1成人式にみる「命を紡ぐ」ということ
今は小学校で「2分の1成人式」なるものが行われているようです。
これは、成人の半分の年齢である10歳を迎える小学4年生の子供達に、今までの10年間の人生を振り返り、親や兄弟、まわりの人たちへの感謝を述べると同時に、将来の自分の夢を語るという行事のようです。まあ、地域によっては内容は変わるのでしょうが、おおむね同じようなことを行うのではないのでしょうか。
そして今度、私の末娘がこの2分の1成人式に臨むとのこと。
正直、全く興味がなかったのですが、いや、こんな風に書くと薄情な親父のように感じられるかもしれませんが、ただの授業参観の行事の一環と思っていましたし、それでなにかが変わるのかと言われれば、なにも変わらないような気もしていたので、「ふーん。そんなのあるんだ」みたいな感じで、上の二人の子供達の時もさして気にしていませんでした。
しかし先日、妻からその2分の1成人式で娘が発表する将来の夢を聞いて、考えを改めました。
娘の将来の夢。それは「おじいちゃんのような立派な体育の先生になること」らしいのです。
正直、娘がそんなことを考えていたとは全く考えておらず、驚きました。
私の父、娘にとっての祖父は、20年近く前に病で他界しました。
(記事参照)
なのでもちろん、娘が現実の祖父のことを知る由もなく、娘にとっての祖父とは、いつも仏壇で微笑みかける祖父。療養中に撮った少し弱った家族写真の祖父。そして若かりし頃、仲間に囲まれているたくましい祖父。
そして、実家に帰るたびに祖母から聞かされる、体育教師だった祖父の話でしょうか。
ちょっと親バカはいりますが、末娘はそこそこ運動神経がよく、長距離、短距離も常に1~2位に入り、スポーツも年上に混ざりながらも目立つ動きをしてくれます。
最も印象深かったのは、初めて自転車の補助輪を外してあげた日のこと。
一回も練習せずに、すいすい補助輪なしの自転車を乗り回す姿を見たときは面食らったものです。
そんな娘ですが、祖母から話を聞いているうちに、「自分もおじいちゃんみたいに」と思ってきたのでしょうか。
「2分の1成人式」という人生で初めて迎える節目の時に、まさかそのような夢を発表してくれるとは思ってもいなかったので、少し胸が熱くなりました。
孫の顔を見ることなくこの世を去った父ですが、墓前に報告に行きたいと思います。
「親父の想いは孫にしっかりと紡がれているよ」・・・と。
紡ぐとは、綿や繭から繊維を引き出し、より合わせて糸にすることらしいです。
父の命は、私に紡がれ、そして更に娘に紡がれていくのだと思います。
更に10年後、立派に成人した娘に、この時の話をしてあげたいと思います。
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